信条と心情が重なるとき分社させておくけど良い神棚を使う
今日は8月15日ということで東京の九段にある靖国神社へ参拝に訪れる人が増える日なんだけど、あちらこちらに関わりのある人がいっぱいいるわけだ、代々となれば孫、ひ孫の代になていても不思議ではないと思う。
っで、一社の神棚に靖国神社を祀っている人もいて、三社の神棚があるけど靖国だけ別の社を使って祭っていることがある。
一緒に収めていてもいいんだけど、分社していることが経験的に目につく。
物事は関わりのない人が好き勝手にその場限りのことを言うのと、なにかしら関係のある人が言うのとでは話の中身が全然違うよね。
まして、親が、爺さんが曾祖父さんが・・・となると、実話になってしまうから、普通は関わりのない他人ならそういう分野には口を出さない、挟まない、聞かないということになる、何もわかっちゃいない人の無責任な意見は無性に腹が立つこともあるだろう。
こういう仕事でもしていないとそういう話はなかなかしないので、その人の心情と信条を垣間見る瞬間でもある。
そこで、以前に聞いたことがある、、、なんで分社しておくのか?
天皇が靖国に行かないから天照大御神と一緒にしないだけ、、、と答えた人がいたけど、まぁ、神道というのは行き着くところが天皇家になるし、そうなるのかな。
日本には萬の神と言われるぐらい神格化したものがあって、片っ端らに神様にしてしまうところがあるけど、有名な歴史上の人物から神話の世界、はたまた石だ岩だ河に山に神を宿してしまう国なんだけど、靖国はちと違う神社だよね。
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