想いの込め方が使い方で真逆になる 木製人形代は平安時代の出土品
モノの見え方というものは、立ち位置や立場が違うだけで真逆に見えてくることがあるから、誰もが同じ方向を向いているようでも、立場次第では頭の中には全く違うことを想っていることはザラです。
例えば、木製人形代というものがある。
人への想いを込める祭祀具なわけ、その想いっていうのが真逆なものになる。
祀るということ自体が真逆を含んでいる。
さて、、、どうするか。
要するに、藁人形のような使い方をする人もいれば、安全祈願のような使い方をする人もいるというのが木製人形代の奥深いところ。
人の形をしていないと意味がないわけ。
祓いというものが6月末にあるけど、そこでも人形代が登場する。
痛いところ、治したいところ、などを人の形をした紙などでなすり、それとなく治ったように感じていく、治せるように思うというプラシーボ効果のような摩訶不思議な風習が今でもある。
おまじないのような感覚なんだろうが、バカにできないからあなどれない。
総じて「気」というものなんだろう。
たかだか漢字一文字の中には、とてつもない力がある、、、「気」・・・すごいぞ。
藁人形のような使い方をする習慣としては、平安時代にはあったようですよ。
出土品の中に木製人形代がある。
こういうことは理屈ではないので、頭で考えても結果なんか出ません。
出ないものをいくらひねり出しても出ないので、あとは心の中のモヤモヤが消え去れば普通の生活に戻れるようにしたいだけの話。
そのための道具でもあるのが木製人形代というわけだ。
感謝もあれば怨嗟もある。
この相反するものを清濁併せ呑むことなんかできないから、その間に祭祀具が橋渡しをするようなもん、そんな感覚で使うといいでしょう。
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