雲水に込められた意味が深い 雲水彫神鏡
漢字文化、日本語って素敵なところがあって、文字そのものに意味がある、まぁ表意文字だからそうなるわけだけど、目で見て伝わるっていう部分だね、読めなくても文字から感じるものがある、表語文字か。
雲と水っていうもんが過去の文献にはやたらと出てきて、それだけ人の何かを埋めてくれるものなんだろうけど、どうでしょうか・・・「雲」「水」。
雲水彫には願いのようなものがあって、雲のように動く、なんというかふわふわしているような、掴み所がないような、自由に、気ままに、という意味合い。
そして水っていうのは透明感ということよりも、水は絶え間なく流れる、途切れないってことだね。
だから、雲水って人の気持ちが現れているんだ。
水の如くというと如水になるんだけど、それもなかなか良い言葉。
ただ、神様相手だと空を加えたいから、雲、そして水。
どうだろう、、、雲のような生き方、水のような生き方・・・素敵じゃないかな。
こういう願いというのものは、それとは真反対の事象が起こっているということだから、規制、規則、決まり、道を絶たれる、人事・・・・総じて自由がなくなりつつあるような時代には、こういう生き方がいいなぁ~と思う人達が増える。
まぁね、決まり事っていうのは決める人に都合がよく出来上がるもんさ。
自然に囲まれると何かが違う、おそらく空気が違うんだろうけど、マイナスイオンってやつかもしれない、ともかく、よくわからないんだけど何かが違うわけだ。
神鏡って置く人がかなりいて、必ず必要になるものではないんだけど、あってもいいかなぁ~と思う神具のひとつ。
中央の扉の前に一台置くのがよく見かけるね。
どこに置こうが何台置こうが決まりはない、好きに置けばOK。
三社の場合だと扉ごと置くこともある、それから真正面に置く場合には少し大きめがいいでしょう。
ただ、箱型の神棚の場合には大きさが大きく感じるはずだから、1.5寸、2寸止まりでいいかな。
雲水に込められた意味が深い 雲水彫神鏡2.5寸
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興味のある方は是非ご覧ください。