神道ではよく使う雲形神鏡には台座に込められた自然の意味がある
天然素材、自然の素材をこよなく愛する生活をしている人たちもいるようですが、食物の話ではなく身の回りの素材のほうの話になるとてんで興味がなくなってしまうこともあるかもしれない。
神道の場合には周囲で使うものから天然、自然のものを使う傾向が強くて、そのため質素に見てしまうわけなんだけど、質素故に安物と捉えられてしまうこともあるのは残念なときかな。
糸は糸でも絹糸であったり、紙は紙でも和紙であったり、木は木でも桧であったりという具合に、手造りや時間をかけて成長するものであったりするものを多く使うから、物事に対して少し深く考えるようになるとモノにもコトにも知る面白みが出てくることだろう。
神鏡は初めと終わりで使うものが変わっていることがある。
初めはセットになっていたり、価格面で安いものだったり、形だけあればいいという感じであったりするよね、それが次第に変化していく。
何でもそうなんだろうけど段階というものを踏んでいかないと全くわからない。
いきなり結論、いきなり完成形などにたどり着いても面白くもなんともないわけだ。
神鏡の中に雲形神鏡というものがあるんだけど、これは一番最初にコレだったという人はかなり稀で、なんだかんだでコレになったということがあるから、円熟世代の神鏡かもね。
地味で高い、、、そんな感じで見てしまうことも。
もっとギラギラ、ゴテゴテしていると値段相応に見えてくる人もいるだろう、きっとそれは「若い」という意味で解決される。
見せたくなる、見せびらかしたくなる、、、そんなもんじゃない。
それだと子供なんだろうな。
神鏡の台座はには自然が込められていて、多くの場合、雲が入っている。
雲から太陽が昇るときを造形したものだ。
太陽が昇るときのパワー、降り注ぐ日差しをいただく。
沈んでしまう太陽もそれなりに黄昏感があって素敵なんだけど、ここはひとつ朝をイメージしてほしい。
海、川、、、山、木々、、、雲・・・という自然の情景。
バーンと昇ってくる神々しい太陽。
国産神具を使おう 雲形神鏡2寸
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興味のある方は是非ご覧ください。