浮かび上がるようにみえるとき 沈むようにみえるとき
情景というのは感慨深いときがあって、そのときの感傷感激に浸ってしまう瞬間もあるんだけど、人の撮った写真を見ても自分自身の思い入れが含まれていないから、物語の前後がないこともあってか、やはり自分の目で見たものじゃないとちょっと違う。
本人が写っている写真を大事に持っている人も多いと思う、それは撮られている写真であって小さい頃のものが多いんだろうけど、大人になると自分の見たものを撮りたくなる衝動にかられてくることがあって、自分の写真が激減してしまう。
アングルが違うんだよね、180度違う、真逆だ。
後々思い返してみるとき、自分の目で見たものが残っていると詳細が蘇ってくる。
ところで、神鏡も日が昇るのようにみえるのか、日が沈むようにみえるかが気分次第。
やっぱりサンライズだね、昇る朝日に見えないと前に進めない、活力がわいてこない。
サンセットもそれはそれでいいんだろうが、やっぱ昇りじゃないだろうか。
ご来光をみたことがないと伝わりが悪いんだけど、アレ、凄いよ。
くたびれてヘトヘトになって登った山から見る朝日の力強さは強烈です、浴びてみるとわかります。
いつかは雲形を使ってみたい、置いてみたいという人もいますね。
神道ではこちらの神鏡を多く使う、そのため大きなものもあるんだけど、八足台の上に乗せたりするときにはかなり大きなものを使う。
やっぱ国産神具の方がいいと思う。
神棚でも使うけど、神棚の方はもう少しバリエーションがある。
ただ、どの神鏡も共通しているのは自然の中から太陽が出てくる情景。
雲も上から、草木の合間、水流の上からなどね。
神鏡の始まりはコレ 雲形神鏡 桧 上品
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興味のある方は是非ご覧ください。