灯籠の魅力
灯籠というものは灯籠であってランプではない。
そんな一体何に使うのか、役立つのかわからないようなものに魅力を感じてしまうと、深みにはまる。
モノ好きだと言われる所以なんだろうが、モノはモノの見方が皆違うわけで、それ故、話が合わないと聞いていてもつまらなく、退屈になってしまうのなんだが、じっくりと耳を傾けると違う世界が広がっていることに気づく。
一皮むけた瞬間。
神社仏閣にはとかく灯籠が存在している。
道を照らす、角を照らす、ど真ん中を照らす、いや、それはもしかして何も照らしてはいないのかもしれない。
照らして欲しいものがなければ照らす必要がないからだ。
誰のために照らしているのか、対象となる人がいないときもある。
誰もいない広場、森のなか、対象は人だったのか、野鳥なのか・・・。
夜中にくる突然の参拝者のための灯籠など必要がない。
夜道を歩くには提灯があった時代だ。
しかし、昔から日本には灯籠という、街灯のようなものが存在している。
灯籠はLampではない、Toroなのである。
これは実に面白い日本伝統文化の一つなのではないだろうか。
何を照らしたいのか・・・はっきりしていない。
膝元ほどの小さな灯籠もあるかと思えば、頭上高くそびえる灯籠もある。
身丈ほどの灯籠は夜道でみると人のようにも映るそうだ。
そういえば灯籠に斬りかかった武士もいた。
人の目には見えないものの通り道。
そこに置かれていることに気づくときがある。
無造作に配置されているとみるか、規則正しく配置されいるようにみえるか。
人間の心境によって丸で違ってみえてしまう。
目線では見えなかった構図であっても、空か見たら配置に規則性があることもある。
日本人の建築物にはとかく意味を含ませることが多いが、構図、配置などの真意を知った時の奥深さは、知識より経験の重要性を教えてくれる。
灯りを灯さない灯籠。
まったく役立たずの置物でしかないように思うかもしれない。
でも、それでいいのである。
ただ、真夜中の明かりの灯った灯籠は気味が悪い。
明るいわけでもなく、暗いわけでもない、つけるならもっとしっかりつけろと言いたくなる気持ちもある。
対象は人ではないからそれでいいのかもしれない。
真夏の灯籠と真冬の灯籠でも顔が違う。
静けさの中に身をおき、真夜中の神社仏閣の世界を知ってしまうと、徘徊が趣味になってしまう。
こんなに砂利の音に違いがあるのかと。
灯籠の魅力
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